関東を本拠とする指定暴力団「住吉会」の中枢拠点が、警察当局による包囲網と地域住民による徹底した排除運動を受け、大きな転換期を迎えています。六代目山口組、稲川会と並ぶ三大指定暴力団の一角であり、警察庁の統計(2025年末時点)において構成員約2,100人、準構成員等を含め約3,100人の勢力を有する巨大組織でありながら、その象徴たる「主たる事務所」の維持は年々困難を極めています。
長年親しまれた港区赤坂から新宿区新宿への移転、そしてわずか数年での退去と新たな移転劇――。「住吉会の事務所は今どこにあるのか」という疑問の背景には、暴力団対策法(暴対法)や暴力団排除条例の厳格な運用、住民と連携した法的包囲網が存在します。警察当局の家宅捜索や使用制限命令の実情、有力傘下組織の配置に至るまで、取材メモと公的資料をもとに2026年現在の最新実態を浮き彫りにします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:東京都公安委員会の官報公示により、住吉会の主たる事務所は新宿区新宿7丁目から「港区芝浦1丁目」へ変更された。
- 要点2:新宿拠点は周辺住民による使用禁止仮処分命令(2024年)と建物の売却によって短期間で機能停止に追い込まれた。
- 要点3:暴対法と暴排条例の徹底により固定事務所の維持が限界に達し、幸平一家など有力組織も含め活動拠点の分散化が急速に進んでいる。
【2026年最新】住吉会総本部の現在地|赤坂・新宿を経て港区芝浦へ
「住吉会の本部がどこに移ったのか」という関心に対し、公的な結論はすでに出されています。東京都公安委員会は暴力団対策法に基づき、住吉会の「主たる事務所の所在地」を東京都新宿区新宿7丁目から港区芝浦1丁目へ変更し、官報にて正式に公示しました。
住吉会はかつて、1990年代まで港区新橋に拠点を置き、その後1999年頃から2021年頃まで港区赤坂6丁目のビルを「住吉会総本部」として運用してきました。赤坂時代は政財界や繁華街に近接した威容を誇っていましたが、建物の老朽化や警視庁による厳しい監視、周辺の再開発計画などが重なり退去を余儀なくされました。
その後、2021年に新宿区新宿7丁目のマンションに拠点を移したものの、後述する司法判断によってわずか数年でその機能は停止。東京都公安委員会への届け出上、現在の拠点はベイエリアに近い港区芝浦1丁目となっています。ネット上では「港区芝大門に本部があるのではないか」という情報も散見されますが、これは港区内に点在する関連施設や歴史的な立ち寄り先と混同されたものであり、法的に登録された主たる拠点は芝浦のアドレスです。
総本部移転の歴史と背景|なぜ新宿拠点は短期間で閉鎖されたのか
新宿区新宿7丁目の拠点が異例の短期間で放棄された最大の要因は、周辺住民による暴力団追放運動と裁判所による使用差し止め決定です。
2021年に住吉会が新宿のマンションに本部機能を移した直後から、近隣住民や公益財団法人「東京都暴力追放運動推進センター」は危機感を強めました。閑静な住宅街や商業地域に組幹部や組員が頻繁に出入りすることは、平穏な生活環境を脅かす重大な脅威となるためです。2024年6月、東京地方裁判所は住民側の申し立てを認め、当該事務所に対する使用禁止の仮処分を決定しました。
この司法判断により、組員が立ち入ることや会合を開くことが法的に禁止され、事務所としての機能は完全に失われました。さらにその後、物件自体の売却が進められたことで、住吉会執行部は新宿からの完全撤退を余儀なくされたという経緯があります。過去のように「居座り続ける」ことが司法と行政の連携によって極めて困難になっている実態を象徴する出来事でした。
【データ検証】住吉会本部拠点の変遷と勢力推移の客観的事実
住吉会の本部機能がいかにして移転を繰り返し、警察当局の規制を受けてきたのかを時系列データで整理します。
| 時代・時期 | 本部所在地(公称・届出) | 警察・司法による規制措置 | 編集部の分析・実態評価 |
|---|---|---|---|
| 1990年代まで | 東京都港区新橋 | 1992年 暴対法に基づく指定暴力団に指定 | 都心一等地に堂々と拠点を構えていた旧体制期 |
| 1999年〜2021年頃 | 東京都港区赤坂6丁目 | 警視庁による定期的立ち入り、対立警戒監視 | 20年以上にわたり中枢として君臨。老朽化と監視激化で退去 |
| 2021年〜2025年 | 東京都新宿区新宿7丁目 | 2024年6月 東京地裁が使用禁止仮処分を決定 | 住民運動と暴追センターの連携により数年で機能不全・物件売却 |
| 2025年6月〜現在 | 東京都港区芝浦1丁目 | 公安委員会への所在地変更届出・厳重警戒対象 | 形式上の届出地だが、大規模会合や常駐は極めて困難な環境 |
警察庁が公表している組織犯罪対策資料によると、住吉会の構成員数は2010年代初頭の約6,000人規模から半減し、構成員約2,100人・準構成員約1,000人(合計約3,100人)へと減少傾向が続いています。しかし、捜査関係者の証言によれば「離脱者を装いながら地下組織化する者や、匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)と結託する層が存在するため、実質的な影響力は数字以上に警戒されている」のが実態です。
主要傘下組織の所在地と実態|幸平一家など有力団体の拠点
住吉会は連合体としての性格が強く、総本部とは別に各傘下組織がそれぞれの拠点を構えています。その中でも首都圏の治安情勢において最大の警戒対象となっているのが、新宿や豊島を縄張りとする「幸平一家(こうへいいっか)」です。
幸平一家の本拠拠点は東京都新宿区(高田馬場周辺)にあり、傘下組織が歌舞伎町などの巨大歓楽街に強力な利権を有しています。近年、特殊詐欺や強盗事件、違法賭博の摘発において警視庁組織犯罪対策部が幾度となく幸平一家傘下の事務所へ家宅捜索に入っていることは、全国紙の社会面でも度々報じられています。
歴代会長や最高幹部を輩出してきた有力一家(日野一家、向後睦会、武蔵屋一家など)も、東京都内(杉並区、中野区、練馬区)や埼玉県、千葉県、神奈川県、栃木県など関東一円に事務所を配置しています。しかし、いずれの傘下事務所も自治体の暴力団排除条例に基づく「学校や通学路から一定距離以内の開設禁止」規制や、地域住民の追放運動に直面しており、堂々と看板を掲げて活動できる拠点は激減しています。
【現場取材と実態】住民の生の声と警察当局による包囲網の激化
港区芝浦に移転公示された本部周辺および過去の拠点地域を歩くと、かつての暴力団事務所周辺にあった物々しい雰囲気とは異なる、新たな緊張感が漂っています。
「新宿に事務所ができたと聞いたときは本当に怖かった。子どもを通学路に通わせる親の間で署名活動が即座に始まり、弁護士さんや暴追センターが動いてくれたおかげで、あっという間に使われなくなって胸をなでおろしました」(旧新宿拠点近隣の50代女性住民)
「現在の芝浦周辺でも、パトカーの巡回頻度は明らかに高いです。ただ、昔のように黒塗りの高級車が何十台も列をなし、組員が路上で威嚇するような光景はありません。そんなことをすれば即座に暴対法の使用制限命令や立ち入り規制の対象になるため、幹部たちも極めて神経質に気配を消して出入りしているようです」(警視庁担当記者)
実際、警視庁は2025年から2026年にかけても、傘下組織が関与したとされる特殊詐欺事件や恐喝未遂事件の全容解明に向け、住吉会の関連拠点に対して断続的な家宅捜索を実施しています。機動隊の防護盾と捜査員がビルの入口を固める映像がニュースで流れるたび、周辺住民による「事務所撤去」を求める声はさらに先鋭化しています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「登記」と「実態」の乖離
インターネット上の掲示板やSNSでは、住吉会の事務所に関して多くの誤認が見受けられます。事実関係を正確に把握する上で知っておくべきポイントは以下の通りです。
第一に、「赤坂の総本部ビルが今も健在である」という誤解です。かつてテレビ報道等で頻繁に映し出された赤坂の拠点ビルは、すでに住吉会の手から離れており、現地の風景は一変しています。過去の映像やアーカイブ情報がネット上に残っているため現在も本部であると錯覚されがちですが、実態は完全に消滅しています。
第二に、「公安委員会へ届け出た事務所=大勢の組員が詰める巨大要塞」ではないという点です。暴対法に基づく「主たる事務所」の登録は、行政および警察当局が法的な通告や命令を発出するための宛先を明確にする性質を持ちます。不動産取引における暴排条項の徹底により、暴力団が組織名義で新たなビルや土地を購入・賃貸することは実質的に不可能です。そのため、個人名義の区分所有マンションや既存資産を形式的な届け出先とし、実際の執行部会合は各地のホテルや傘下団体の施設を転々としながら開催する「拠点の遊牧化」が進んでいます。
【専門家の分析】暴力団排除条例と拠点包囲が生む構造的変化
暴力団対策法が制定された1992年以降、暴力団事務所に対する法規制は段階的に強化されてきました。特に民事保全法に基づく「住民代理訴訟制度(適格都道府県センターによる差止請求)」の活用が進んだことで、住民自身が報復を恐れて声を上げられないという構造的欠落が解消されつつあります。
社会学および組織犯罪論の観点から見ると、事務所という「物理的空間の喪失」は、暴力団組織の統制機能に決定的な打撃を与えています。従来の暴力団は、代紋や看板を掲げた事務所に若手組員を起居させ、組織の掟や上下関係を叩き込むことで疑似家族的な結束力を維持してきました。しかし、事務所の立ち入り規制や使用禁止が相次いだ結果、内部教育の場が崩壊しています。
その結果生じているのが、組織の求心力低下と、末端構成員の流動化です。実体のある事務所を持てない組織は、SNSや秘匿性の高い通信アプリを利用して離散的に連絡を取り合うようになり、これが近年問題視される「トクリュウ」との境界線を曖昧にさせる土壌を生み出しています。物理的な拠点の排除が完了した一方で、見えざる犯罪インフラをどのように捕捉・解体するかという、警察当局にとっての次なる課題が突きつけられています。
【住吉会 事務所】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:住吉会の総本部は現在、港区赤坂にあるのですか?
A1:いいえ、赤坂6丁目にあった旧総本部ビルは2021年頃に退去しており、現在は住吉会の拠点ではありません。現在の公的な主たる事務所は港区芝浦1丁目へ変更されています。
Q2:新宿にあった本部事務所が短期間で使えなくなった理由は何ですか?
A2:2024年6月に東京地方裁判所が近隣住民側の申し立てを認め、事務所使用禁止の仮処分決定を下したためです。組員の立ち入りや会合が法的に禁じられ、建物の売却が進んだことで撤退を余儀なくされました。
Q3:芝大門や芝浦など、港区に拠点が集中するのはなぜですか?
A3:住吉会は歴史的に港区新橋や赤坂など都心南部に強い地盤を持っていた経緯があります。ただし、現在届け出られている港区芝浦の拠点も警察の厳しい監視下にあり、かつてのように組員が多数常駐するような形態ではなく、法的規制を逃れるための形式的な登記に近い運用とみられています。
まとめ:事務所包囲網の進展と2026年以降の住吉会の展望
住吉会総本部の拠点をめぐる変遷は、昭和から平成、そして令和へと続く暴力団排除の歴史そのものを映し出しています。港区赤坂という一等地から新宿の住宅地へ、そして司法の鉄槌による退去と港区芝浦への再移転――。この目まぐるしい移動の歴史は、組織が能動的に選んだものではなく、法と地域社会の連携によって追い詰められた結果に他なりません。
不動産取引からの暴力団排除条項の浸透、暴対法による事務所使用制限命令、そして住民代理訴訟の定着により、指定暴力団が都市部に物理的な拠点を構え続けることは極限まで困難になっています。2026年現在、住吉会をはじめとする指定組織は、看板を掲げた拠点を失いながらどのように存続を図るのか、警察当局による監視と摘発の手は今後さらに厳しさを増していくことになります。 (出典: 住吉会 事務所(Yahoo!ニュース))